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INTRODUCTION

先人達が残してくれたものを、もう一度現代に合う形で作り出していくことが、私の使命。

あらゆるものを融合して新たなものを生み出す。加藤亮太郎の核を成すのは、桃山時代の進取の精神だ。2024年は加藤にとって、半白(50歳)の節目となる年。折しも日本陶磁協会賞を受賞し、自身が当主を務める幸兵衛窯は開窯220年を迎えた。今、誰もが注目する陶芸家は何を思うのか。未来に向かって挑戦を続ける作家の信念を紐解く。

インタビュアー / 堤 杏子

  • 加藤 亮太郎さん 陶芸家

    岐阜県多治見市を拠点に作陶を行なう陶芸家。「幸兵衛窯」八代目。穴窯焼成にこだわり、志野や瀬戸黒、織部などの美濃の茶陶を中心に製作している。茶道や書道にも造詣が深く、作品の背景にある日本ならではの文化の魅力を伝える。伝統を礎としながらも積極的に自身の感性を磨き、新たな活動にも挑戦し続けている。

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初代幸兵衛から受け継がれてきた窯。すぐ裏手には山がある

――幸兵衛窯の歴代当主は、それぞれ素晴らしい作品を世に送り出してこられました。そんな窯元の八代目当主として、この伝統をどのように受け止めていらっしゃいますか?また、それを踏まえて、今のご自身が取り組む陶芸について教えてください。

初代加藤幸兵衛がこの山の斜面に登窯を築き、「太白焼」という素朴な炻器の染付を焼き始めました。その後だんだんと磁器の染付を作るようになり、まもなく江戸城の御用窯となりました。そうして四代までは染付の窯元として稼働し、五代幸兵衛は中国陶磁を、六代加藤卓男はペルシア陶器を研究したことから、それらのエッセンスが窯元の方にも取り入れられていきました。もともと美濃焼ですから、志野や織部などもやっています。ですから現在の幸兵衛窯は、古今東西さまざまな種類のやきものを作る窯元となっているんです。代々やきものをやっていくなかで、各代が自分のカラーを出し、自分の世界観を作っていくというのがうちの特徴であり家風で、さまざまな技法にチャレンジしてきました。ですから窯元としての技法も幅が広くなり多様化してきたということが言えます。

今年が開窯220年ということで、このたび太白焼の展覧会を開催します。山の斜面に初代幸兵衛が登窯を築き――昭和48年に祖父(六代加藤卓男)が作り変えて、今は登窯ではなく穴窯になっていますが――まさにこの場所で染付を焼き始めました。この場所で、この窯で、先祖が始めたことが脈々と受け継がれてきて、その場所で今、私が美濃焼の原点である桃山陶の、志野や瀬戸黒といったものを焼いているのです。美濃焼は非常に多様性が豊かですけれども、桃山陶はそのアイデンティティの芯の部分で、そこをしっかりやるべきだという使命感があります。うちはやきものという仕事で火を灯し続けてきていますが、たまには立ち戻り、自分の足元を確かめながら未来へ進んでいくことが必要で、そういうことの繰り返しかなと思うんです。行きつ戻りつ、このような節目の機会にルーツを振り返り理解を深めることで、またそこから新しいものが生まれていくと思っています。

――桃山陶の魅力を教えてください。

東濃地方では、いろいろな種類の土や釉薬の原料が豊富に採れます。だからこそやきものの産地として発達し、桃山時代には後に国宝や重要文化財となる名品も生まれてきているんです。これは日本の文化の中でも特筆すべきことで、桃山時代に花開いた茶の湯文化の中で、桃山陶は日本独自の美意識のもと爆発的な形で生まれてきたものだと思うんですよ。それまではどうしても中国への憧れがあって、模倣という形でしか作られていなかったやきものが、日本的な美意識で自信を持って生み出せるようになったという、日本人としての精神的自立みたいな側面があったと思います。

桃山陶は一瞬で花開いて、江戸時代に入るとすぐに無くなっていってしまいますけれども、先人達が残してくれたものをもう一度現代に合う形で作り出していくことが、私の使命だと思っています。けれども模倣や再現として制作するつもりは全くなくて、当時と同じように薪の窯でしっかり焼いて、当時は無かった素材や窯変で新しい表現を追求しています。現代まで桃山陶が続いているとしたら、そういうものができていくだろうと思うんです。あらゆるものを取り入れて新しいものを提示していく、これは桃山時代の古田織部の思想です。「進取の気風」と言って、見る人を喜ばせてあげよう、びっくりさせよう、そういうサービス精神から成り立っています。「優しい」という言い方を私はするんですけど、新しいものをお見せしたいということは、おもてなしをしたいということ。織部は、人に対して優しいやきものなんじゃないかなと思います。

加藤亮太郎作《織部茶碗》。美しいターコイズブルーの窯変が見られる

1200℃の炎と対峙する

――加藤亮太郎さんにとって、陶芸の面白さはどのようなところにありますか?

全部が思い通りにはならないところが面白いですよね。自然の炎の力と、人間の私が手で作る形、文様、釉薬というものが合わさってできるのがやきもの。要するに、自然の力と人の力を融合した芸術が陶芸なわけです。半分は自分が作るけれども半分は自然に委ねるというのがやきものの面白さであり、100パーセント自分が思った通りのものができていたら、それは面白くないでしょう。自分の予想を超えてくるものが窯から出てくるその裏切り――いい意味での裏切りはもちろん、失敗もたくさんあるので悪い意味のもあるんですが――それが面白いのです。窯を焚くたびに発見があります。予想の範囲内のものももちろんありますよ。だけどなかには「おお、こう来たか」というものがあるんです。そういう自然とのやり取り、いわば火の神様とのやり取りを、なんとなく楽しめるようになってきたかなと思いますね。

――半白の節目の今年、2023年度日本陶磁協会賞を受賞されました。受賞後の心境の変化はありますか?また、その影響が作陶に表れることはありますか?

受賞発表からのこの半年間で、自分自身を振り返る機会が非常に増えています。自分とは何なのか。若い頃はどういうものを作り、どういう変遷を経てここに辿り着いているのか。もっと言えば、少年時代にどういう子供でどういうことが好きで、どんなふうに育ってきたのか。今、そういうところから掘り下げることをしているんですよね。ちょうど受賞のタイミングと半白の節目が重なって、この半年間すごく自分のことを考えています、恥ずかしげもなく(笑)。先ほどの話とリンクしますが、節目であるからこそ、足元からもう一度考え直すことで現時点の立ち位置がわかり、それが次の60歳という節目に向かってどうやって進んでいくかということを考える指標になると思うんです。10月に控えている半白記念展と日本陶磁協会賞展に向けてもまた変わっていくでしょう。そこで自分の渾身の作品を出せたらいいなと思っています。

――日本陶磁協会賞受賞では、柔軟に新たな挑戦を続ける姿勢が評価されましたが、直近で挑戦したいことや、10年後、20年後にどのような陶芸家でありたいかなど、今後の展望をお聞かせください。

50歳の節目でいろいろと考えることが完了したら、また新たにスタートしていきたいですね。今はまだ考え中ですが、新しい技法をどんどん増やしていくということもあるでしょう。窯焚きというのは実験みたいなところがあります。プラスに出るかマイナスに出るかわからないけれど、それが窯です。そういうまだ見ぬ自分の新しい作風を窯が作ってくれるというのは、やっぱり楽しいんですよ。ですから、そうした実験は繰り返していくと思います。異なるものと融合して新しいものを生み出すという精神から、他の方とのコラボレーションも機会があればやっていくでしょう。

一般論として、陶芸家は70代に一番良いものができると言われていますが、やはり円熟して枯れかける境地になってくるんでしょうね。それを目指して、50代はなるべくやれることを貪欲に、倒れない範囲で目いっぱい楽しくやっていきたいなと思っています。

――陶芸の他にも「書」や「茶道」といった日本の文化芸術に精通されていますが、これらについては今後どのように取り組んでいく予定でしょうか?

作家性を語るうえで、書というものが自分にとってまだまだ陶芸と両輪を成すくらいまでのものにはなっていません。そこは本当に積み重ねでしかない。どんどん積み重ねて高みを目指すしかないと思っています。

お茶に関しても精進していきますが、お茶の師匠になろうとは思っていなくて、自分なりのお茶の在り方を実践していく――例えば自分の展覧会の機会にお茶会を開催する、これはその都度やっていくでしょう。それは、お茶との関わりが、さまざまな人やものと繋がる出会いの場でもあるからです。新しいものや人と出会うということは、そこで新たな融合の機会が生まれるということです。その意味で、お茶というのは非常にありがたい存在ですね。お茶会でしか出会えない名碗もあるし、お茶会でしか繋がれない方と繋がることもあるので、続けていきたいと思っています。

一碗に込める想い

――過去にはイギリスで個展を開催され、そして今冬にはシンガポールでの個展も控えています。ご自身の活動や作品を通して、海外の方に何を伝えたいですか?

私のメインの作品はお茶碗なんですけれども、一つのお茶碗の背景にはものすごい情報量があるんですよ。先ほど申し上げた歴史的背景もありますし、私の創意や窯の自然の力、もっと言うと素材の土自体は2億年くらいかけて作られているものですので、そういう悠久の時も入っているわけですよね。そう考えると壮大になってしまいますけど。お茶碗を手に取ったときに、海外の方も何か感じるものがあると思います。手に取るということは目で見るよりも圧倒的に情報量が多いんです。掌(たなごころ)に入れるというのは、自分の内に入れるということですから、そうやって自分の内に取り込んだときにどう感じていただけるか……。海外での展覧会やお茶会は、そういう機会だと思っています。きちんと手に触れられる機会として、茶碗を手に取っていただきたいと思いますね。直感的に、素直に、どう感じていただけるのか。そこは興味がありますね。

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KOGEI STANDARD

編集部

KOGEI STANDARDの編集部。作り手、ギャラリスト、キュレーター、産地のコーディネーターなど、日本の現代工芸に関する幅広い情報網を持ち、日々、取材・編集・情報発信を行なっている。