『谷穹 抽象と静寂』展覧会レポート
展覧会・イベントレポート VOL.30
展覧会情報やインタビューなど、工芸に関するさまざま情報を発信しています。
東京都
2024.12.12 – 12.25
セイコーハウスホール
石川県
2024.12.17 – 2025.2.24
国立工芸館
東京都
2024.12.18 – 12.24
日本橋三越本店
京都府
2024.12.21 – 12.29
essence kyoto
あらゆるものを融合して新たなものを生み出す。加藤亮太郎の核を成すのは、桃山時代の進取の精神だ。2024年は加藤にとって、半白(50歳)の節目となる年。折しも日本陶磁協会賞を受賞し、自身が当主を務める幸兵衛窯は開窯220年を迎えた。今、誰もが注目する陶芸家は何を思うのか。未来に向かって挑戦を続ける作家の信念を紐解く。
インタビュアー / 堤 杏子
岐阜県多治見市を拠点に作陶を行なう陶芸家。「幸兵衛窯」八代目。穴窯焼成にこだわり、志野や瀬戸黒、織部などの美濃の茶陶を中心に製作している。茶道や書道にも造詣が深く、作品の背景にある日本ならではの文化の魅力を伝える。伝統を礎としながらも積極的に自身の感性を磨き、新たな活動にも挑戦し続けている。
詳細プロフィールへ今年が開窯220年ということで、このたび太白焼の展覧会を開催します。山の斜面に初代幸兵衛が登窯を築き――昭和48年に祖父(六代加藤卓男)が作り変えて、今は登窯ではなく穴窯になっていますが――まさにこの場所で染付を焼き始めました。この場所で、この窯で、先祖が始めたことが脈々と受け継がれてきて、その場所で今、私が美濃焼の原点である桃山陶の、志野や瀬戸黒といったものを焼いているのです。美濃焼は非常に多様性が豊かですけれども、桃山陶はそのアイデンティティの芯の部分で、そこをしっかりやるべきだという使命感があります。うちはやきものという仕事で火を灯し続けてきていますが、たまには立ち戻り、自分の足元を確かめながら未来へ進んでいくことが必要で、そういうことの繰り返しかなと思うんです。行きつ戻りつ、このような節目の機会にルーツを振り返り理解を深めることで、またそこから新しいものが生まれていくと思っています。
東濃地方では、いろいろな種類の土や釉薬の原料が豊富に採れます。だからこそやきものの産地として発達し、桃山時代には後に国宝や重要文化財となる名品も生まれてきているんです。これは日本の文化の中でも特筆すべきことで、桃山時代に花開いた茶の湯文化の中で、桃山陶は日本独自の美意識のもと爆発的な形で生まれてきたものだと思うんですよ。それまではどうしても中国への憧れがあって、模倣という形でしか作られていなかったやきものが、日本的な美意識で自信を持って生み出せるようになったという、日本人としての精神的自立みたいな側面があったと思います。
受賞発表からのこの半年間で、自分自身を振り返る機会が非常に増えています。自分とは何なのか。若い頃はどういうものを作り、どういう変遷を経てここに辿り着いているのか。もっと言えば、少年時代にどういう子供でどういうことが好きで、どんなふうに育ってきたのか。今、そういうところから掘り下げることをしているんですよね。ちょうど受賞のタイミングと半白の節目が重なって、この半年間すごく自分のことを考えています、恥ずかしげもなく(笑)。先ほどの話とリンクしますが、節目であるからこそ、足元からもう一度考え直すことで現時点の立ち位置がわかり、それが次の60歳という節目に向かってどうやって進んでいくかということを考える指標になると思うんです。10月に控えている半白記念展と日本陶磁協会賞展に向けてもまた変わっていくでしょう。そこで自分の渾身の作品を出せたらいいなと思っています。
50歳の節目でいろいろと考えることが完了したら、また新たにスタートしていきたいですね。今はまだ考え中ですが、新しい技法をどんどん増やしていくということもあるでしょう。窯焚きというのは実験みたいなところがあります。プラスに出るかマイナスに出るかわからないけれど、それが窯です。そういうまだ見ぬ自分の新しい作風を窯が作ってくれるというのは、やっぱり楽しいんですよ。ですから、そうした実験は繰り返していくと思います。異なるものと融合して新しいものを生み出すという精神から、他の方とのコラボレーションも機会があればやっていくでしょう。
一般論として、陶芸家は70代に一番良いものができると言われていますが、やはり円熟して枯れかける境地になってくるんでしょうね。それを目指して、50代はなるべくやれることを貪欲に、倒れない範囲で目いっぱい楽しくやっていきたいなと思っています。
私のメインの作品はお茶碗なんですけれども、一つのお茶碗の背景にはものすごい情報量があるんですよ。先ほど申し上げた歴史的背景もありますし、私の創意や窯の自然の力、もっと言うと素材の土自体は2億年くらいかけて作られているものですので、そういう悠久の時も入っているわけですよね。そう考えると壮大になってしまいますけど。お茶碗を手に取ったときに、海外の方も何か感じるものがあると思います。手に取るということは目で見るよりも圧倒的に情報量が多いんです。掌(たなごころ)に入れるというのは、自分の内に入れるということですから、そうやって自分の内に取り込んだときにどう感じていただけるか……。海外での展覧会やお茶会は、そういう機会だと思っています。きちんと手に触れられる機会として、茶碗を手に取っていただきたいと思いますね。直感的に、素直に、どう感じていただけるのか。そこは興味がありますね。