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日本の美意識「陰翳」

1933年に発表された谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は、日本の美意識を広く海外にまで紹介している本の一つである。日本の暮らしには、いかに薄暗がりが大切であったかを独特の文体で書いたこの書は、日本の美意識に興味を持つ外国人や、アート、デザイン、建築などを学ぶ学生にとっては必読書となっており、哲学者のミシェル・フーコーや世界的な建築家である安藤忠雄らも大きく影響を受けたとされている。

陰翳とは何か

「陰翳」とは光の直接当たらない暗がりのことだが、真っ暗な闇を指しているのではなく、光の存在をわずかに感じるぼんやりとした薄暗がりの状態を意味する。『陰翳礼賛』の中では、その例えとして、障子による薄暗がりが挙げられている。昔ながらの日本建築では、縁側から入った光が障子を通って拡散され、淡い光が生まれる。ガラス戸によって、直接の光をできるだけ多く取り込もうとした西洋建築に対し、障子による淡い光は日本独自の美意識であることを谷崎潤一郎は紹介した。

また、西洋人が好む煌びやかな食器や宝石に比べ、日本の漆器や金箔のようなものは、どこか陰りのある存在であり、それらは、蝋燭による薄暗がりの中での美しさを求めて発展したのだろうと、谷崎潤一郎は考えた。当時、西洋化・近代化に進む社会の中で、日本の美意識が急速に失われていくことを危惧し、社会に対し疑問を投げかけたのが、この『陰翳礼賛』だったのだ。

工芸における陰翳

これまでは、東洋が西洋に憧れてきたように、今は、西洋が東洋に憧れている。これは、観光や食事だけでなく、工芸においても言えることではないだろうか。例えば、陶磁器では西洋のお皿は光沢のある白い磁器が一般的で、陶器や炻器は日常で見かけることは稀だ。一方で、日本では、茶道の中で雑器を茶碗として見立てた歴史があるように、陶器や炻器も、日本の美意識の一つとして、大切に育まれてきた。今では、海外では備前焼や信楽焼のような無釉の焼締の作品が人気を集めており、ざらつきや濁りというものが、西洋の暮らしの中でも求められる、そんな時代になったのかもしれない。

漆器は暗がりの中で

すでに述べたように、『陰翳礼賛』では、漆器は薄暗がりの中でこそ美しさを帯びるものと書かれている。確かに、趣のある漆器であればあるほど、現代の光溢れる部屋の中では居心地が悪いように見え、静かな暗がりの中にこそ置いてみたいと思わせるものだ。暗がりでは、漆器の椀の見た目の美しさはもちろんのこと、漆の手触りや、椀にある汁の温度も敏感に感じられることで、その空間を全体で味わうことができるようになる。

日本人が持つ美意識とは、暗がりの視覚的な美しさだけではなく、薄暗がりの中で、五感を目一杯使って、その空間を感じることなのかもしれない。光が当たるものは直感として美しく感じやすいものだが、そうでないところにこそ日本の美があるとした『陰翳礼賛』は、美術や工芸だけでなく、日本人の生き方や暮らし方という点においても、日本固有の感性を提示したものだった。

試しに電燈を消してみる

『陰翳礼賛』は、最後に「まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」という言葉で締め括られている。現代では、環境問題を考える中で、キャンドルの灯火だけで一夜を過ごすキャンドルナイトが各地で行なわれるようになったが、日本ならではの陰翳を伝える蝋燭だけでの一夜があっても良いのかもしれない。そうした時間を通じて、また新たな工芸の魅力が世界へと伝わっていくだろう。

参考:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中央公論新社)

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柴田 裕介

編集長

(株)HULSの代表兼工芸メディア「KOGEI STANDARD」の編集長、コラムニスト。東京とシンガポールを拠点に活動を行う。日本工芸の国際展開を専門とし、クリエイティブ・ビジネス面の双方における企画・プロデュースを行っている。